飛行機 予約を重視するポイント

当時のI氏像を知る人の多くは、「逞しさとしたたかさの両面を兼ね備えていた」と人物像を振り返る。
その「逞しさ」と「したたかさ」という精神は、現代を担うJTBマンにも脈々と受け継がれているのである。 二つ目の措置は、先にも触れた駅構内における販売所の立ち退き勧告だった。

構内の旅行センターからの撤退は、順風満帆だった営業成績に大打撃を与えた。 そして三つ目が、「鉄道時刻表」の独占権喪失である。
近代旅行業の発展と新生JTBに与えられた使命とも報じられた。 大株主・国鉄から距離を置くことにしたJTBI氏をはじめとしたJTBマンがいちばん気にかけていたのが、国鉄の分割民営化後の株式配分の問題だった。
JTBの筆頭株主である国鉄の保有する株式が、国鉄民営化後のJR各社にどのように分配されるのか注目された。 ときの中曽根政権の意向でJTBの株式はJRグループ六社に分割配分されることに決定したが、この持ち株配分をめぐっては、全株委譲を主張していたJR東日本との間にしこりが残った。
その結果、JR東日本は、JTBに対して三つの報復ともとれる措置をとった。 一つは、「定期券」を代理販売する権利を取り上げられたことだった。
定期券の取扱いは、JTBの収益源の屋台骨ともいわれるほど大きなもので、当時の損失予想額は一○○○億円超八五年九月、ニューョークのプラザホテルで行われたG5(先進五カ国蔵相・中央銀行総裁会議)でいわゆる「プラザ合意」がなされて以降、日本は急速に円高が進み、旅行業界は海外旅行全盛の時代を迎えた。 それまで、一ドル一三○円前後で推移していた円が、わずか一年で三○円にまで急騰したのだ。
一ドル三六○円という固定相場の時代からは想像もできないことであった。 強い円を懐に、多くの日本人観光客が団体で海外に繰り出した。
世の中はバブル景気へと向かいはじめ、旅行業全体が文字通り「猫の手も借りたい」ほどの時代に突入したのである。 それまで、「公社」と名が付くことから、三公社五現業(※)の一つのように連想され、お役所のように思われることもしばしばあったからで、中曽根政権時代の三公社民営化に合わせるかのようなCI運動となった。
「半官半民」と誤解され続けたJTBマンたちの新たな出発を印象づける結果となったのだ。 かくして、平成を迎えたばかりの九○(平成二)年、I氏は、プロパー社長二代目となる松橋功にバトンを渡し、一つの時代に幕を閉じた。
※三公社五現業U「三公社」とは、日本国有鉄道、日本専売公社、日本電信電話公社のことで、すでに民営化されてJR、JT、NTTという民間会社になっている。 また「五現業」とは、郵政、国有林野、印刷(日本銀行券や郵便はがき等の印刷事業)、造幣、アルコール専売のことで、国有林野事業を除き、すでに独立行政法人および日本郵政株式会社に移管されている。

観光立国への道とJTBの責務I氏の退陣後も、松橋功(一九九○〜九六年)、船山龍二(一九九六〜○二年)、現職のS(○二〜)と、JTBは生え抜き社長で今日まで貫いてきた。 松橋は、その当時で過去最高となる取扱高一兆円を達成した。
バブル期の拡大路線で赤字転落を経験したが、その後、起死回生をはかり船山へバトンを渡した。 代売業をとうに脱出したJTBは、次なるドメインである「総合旅行産業」への確たる地位を生え抜き社長のリレーで築き上げたのだ。
こうして時代をたどってみると、JTBマンがよく口にする、「先輩から受け継がれた良きいばらDNA」とは、荊の道も切り開く「あくなきチャレンジ精神」であり、業界のパイオニアとしての誇りなのかもしれない。 他の旅行会社とは生い立ちも歩みも違うが、代売や御用聞きではなく、「総合旅行産業」という一つの産業を確立させたのである。
紐山は、「ルック」をJTBの看板商品にまで育て上げ、JR東日本との関係改善にも尽力した。 就任後の○一(平成一三)年一月一日には、それまで「統一呼称」として使われていた「JTB」を正式社名に採用して、株式会社日本交通公社から「株式会社ジェイティービー」へと社名変更した。
そして、これを機に本社も大手町(東京・千代田区)から天王洲(品川区)へ移転させた。 ツーリズム産業が認知された「観光立国宣言」そのJTBがホールディング化に際して、事業ドメインからあえて「旅行」の二文字を削っその光明は期せずして訪れた。
○三年一月、ときの内閣総理大臣Kが、施政方針演説の中で「二○一○年までに訪日外国人旅行者数を一○○○万人に増やす」ことを目標に掲げ、「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を展開することを発表したのだ。 そして、その年の三月には、これに国家予算をつけることが決定したのである。
四月に総理官邸で開催された観光立国懇談会の席上で、K首相自らが「観光は日本を担う基幹産業だという意識を持って、政府としても、民間と協力しながら取り組んでいきたい」と明言した。 これにより、旅行業を含む「ツーリズム産業」が認知され、二一世紀の日本におけるリーディング産業となる可能性を世間に広く知らしめたのだった。

政府の重要な政策課題として取り上げられたばかりか、経済界からの期待も大きく、日本経済におけるツーリズム産業の位置づけが変わってきていることを内外に印象づけた。 この「ビジット・ジャパン・キャンペーン」に貢献したのが、JTBの社長を歴任した、松橋功と船山龍二であった。
「日本ツーリズム産業団体連合会」という、観光に携わる民間企業を横断的に組織した日本初の観光関連団体を○一年に設立するにあたって、松橋はその中心的役割を果たした。 そして、松橋の志を継いだ船山は、「観光立国基本法」成立に向け、関連産業全一二団体をまとめあげた。
具体的には、旅行業やホテル、旅館業といった従来の「観光業」のみならず、運輸業、小売業、飲食業など、観光に関連するさまざまな業界を総称して「ツーリズム産業」と命名し、政策面での役割・使命を取りまとめたのである。 訪日外国人観光客が倍増することで、今後期待される経済波及効果は約五○兆円で、四○○万人近い雇用を創出することができると言われる。
日本が観光立国となることで、地域の活性化はもちろん、魅力的な街づくり、町興しにも発展していくだろう。 観光学でいわれる「国の光を観る」「住みたい国に、人は来る」に、国家をあげて取り組もうとしているわけだ。
観光立国宣言を受けて外務省では、訪日観光客のノービザ(査証免除)導入やビザ手数料免除、滞在許可期間の延長などの施策を次々と発表した。 京都や奈良、富士山に限らず、日本を代表するサブ・カルチャーの殿堂「アキバ(秋葉原)」までもが世界に向け発信されるなど、話題も豊富で尽きることがない。
約一○○年前に、「外客誘致・斡旋」を目的に産声をあげたJTBにとって、新たな船出のときに運命的なめぐりあわせで「観光立国宣言」が発布された。 JTBはノーブル・オブリゲーション(高貴なるものの義務)として、代売業でしかなかったものを、一つの「インダストリー」にまで押し上げ、業界全体を牽引してきたのである。

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